今日は5号目「いまむかし」から『昔の塩釜』について。
七ヶ浜で暮らす人たちは、塩釜は仙台に行くのと同じ感覚の町だったと話します。仙台より近い、繁華街のある隣町といったところでしょうか。多賀城より、塩釜の話が断然多い。特にお正月が近くなると、思い出話が次々出てきました。昭和30年代頃のことを掲載しています。
では、懐かしい時代の塩釜について・・・
【仙台と一緒】
・七ヶ浜の人たちにとって、昔の塩釜は仙台と一緒だった。七夕、デパート、お正月の買い物…。とっても賑やかだったんだよ。
・本町なんかは、人が行ったり来たりしてたんだよ。
・塩釜行くときはスカートしか履かなかった。町だから、おめかししてさ!
・昭和31~33年頃の物価。映画は100円。そば50円。菖蒲田から塩釜までのバスは片道25円。200円貰って塩釜に行って。50円残ると痛ましくて。バスに乗んねぇで歩いて、せんべい買ってさ。
・(塩釜から帰る途中に)バスもねがったし、薄暗くて怖い。昔の遠山辺りは、松林で家もねえし。北遠山から南遠山は舗装なし。トラックが通ると「乗せろーっ!」って、皆で手を挙げて乗せてもらった。今でいうヒッチハイクだね。今の人に怒られる。悪い人、いねかったから。昔の男は優しかった。おっかねくねがった(怖くなかった)。
【町並み】
・今の壱番館のところが本塩釜駅(仙石線)だった。駅のすぐ隣に細い川、堀っていうのかな。船が通ってた。のり船みたいなのだよ。
・丹六園に船が着いた。今は埋めた。
・昔のジャスコんとこ(跡地)は貨物駅。
・ロイヤルホームセンター(現・ホーマック)は、丸通の会社があって「荷物入ってました」って連絡が入った。今は宅急便あっけど、昔は自分らい(自分ちで)取りに行ったんだよ。
・昔のジャスコ、今のジャスコ(現・ビッグ)んとこは、埋め立て。あそこの川も狭かった。もっと上に流れてた。
・グランパレ(グランドパレス塩釜)んとこ(向い)は貨物の駅。
・闇市、すし哲の辺り、尾島町。あの辺は岸壁だった。七ヶ浜からの船の終点だった。代ヶ崎、吉田、花渕の人たちが塩釜に行くのに船で行ってた。船は二つあって、吉田丸と塩釜市でやってた市営汽船。おじさんが船長をしてた。桂島の方や浦戸まで行ってたの。
【用足し】
・塩釜へ宅習い(裁縫の習い事)に船で通ってた。田んぼや畑が終わってから、12月までなんねぇとよせらんねかった。
・自分でとったワカメを干したものを束っこにして、風呂敷に背負って、塩釜の市場さ行って売ってくんだった。かあちゃんと二人で行った。生活費にすんのに。二人ばりでなくて、まとまって行くの。暗い頃に行くんだよ。寒いときだから。4時頃から背負って帰ってきて。んで、家に着いてから、またワカメとりに行くんだよ。
(聞き書き七ヶ浜5号「いまむかし」より)
まだ続きますが、今日はこの辺で・・・(*^-^*)
堀が流れていた話を聞くうちに、塩釜神社前の道路のところはそうだったなとか、一方通行であの辺りを通るのが面倒だったなとか・・・記憶が蘇ってきました。
ひとつの糸口から、するすると記憶が出てくる出てくる。次から次へと。思い出話の面白さですよね。
「懐かしくてさ~! 皆で盛り上がったよ」と、お友だちと小誌を読みながら思い出話に花を咲かせたという方も。その頃に戻って楽しい時間を過ごせたそうです。これは嬉しかったですねぇ~!
こんな風にお茶のみ話につかっていただくのもいいなぁ~。
そして、思い出した話を私に教えていただければ有難いなぁ・・・なんてね (*^-^*)