大変ご無沙汰しております。なかなかブログ更新や、9号目編集が出来ない状況で歯がゆい毎日を過ごしています。
そして・・・また、雪が降ってきた七ヶ浜です。
ようやく解けたところだったのに、うっすらと雪が積もっています。さて、今後どうなることやら・・・
今日は4号目のお社めぐりから、東宮浜にある 笠岩堂 をご紹介いたします。(写真は2007年4月1日撮影)
宮城県内の所々には、邪気を払う「逆さ埋葬」の言い伝えが残っています。
栗原市栗駒岩ケ崎の館山寺や、女川町江島の栄存神社、多賀城市高崎化度寺の日光院などなど・・・。いずれも不慮の疫病や冤罪を恨んで亡くなった有徳者を遺言どおり逆さまに埋葬したところ、その地域の疫病や不幸が治まったというものです。
「はて、どこかで聞いたような話だな」と思った方、実は、我が七ヶ浜町内にもよく似た言い伝えが残っています。それが、今回ご紹介する東宮浜の『笠岩堂』です。
(中略)このお堂は、本来、出羽三山に属する二人の修験者の墓所に建つ「廟」なのですが、藩政時代には、当時の神仏習合思想により神式の笠岩権現として祀られていたそうです。
(聞き書き七ヶ浜4号「お社めぐり」より)
(中略)それでは、町史に「縁起」の要約が載っているので読んでみましょう。
里の伝承によると、二人の修験者は明光院明海上人と、竜光院正海上人と申され、それぞれに明和7年(1770年)と安政3年(1774年)に亡くなったのですが、お二人ともなくなる際に、三方の辻に逆さまにして埋葬するよう遺言したということです。
そこで、東宮の里人は現在の場所を選び、遺言どおりに埋葬しようとしたところ、要害の里人は「いかに遺言とはいえ、上人様を逆さまに埋葬するのは忍びない」と反対したため、皆が「それはそうだ」と納得して正葬にしたところ、間もなく熱病が流行り、里人の大半が罹ってしまいました。
祈祷したところ、上人の遺言を守らないので、里人を皆殺しにするとの託宣があり、一同大いに驚いてさっそく遺言どおりに改葬すると、たちまち病気が癒ったと伝えられています。
笠岩堂のお札を家の間口に逆さまに貼ることになっているのは、このような縁起からだそうです。
(聞き書き七ヶ浜4号「お社めぐり」より)
これが笠岩堂の祈祷符。家の入口に逆さまに貼るのが慣わし。
東宮浜に住む友人宅のもので、写真を撮って送ってもらいました。この地区の子どもたちは、風邪除けの神様に守られているんですね (*^-^*)
また、かつては、旧暦2月8日の縁日には風邪除けに霊験あらたかとのことで、黒川、名取、桃生等の各郡からも親戚友人を誘い、団体を成して参拝者が集まり、鉄道も臨時列車を仕立て、貸切バスを連ねる盛況だったそうです。
(聞き書き七ヶ浜4号「お社めぐり」より)
10年ぐらい前にこの縁日が気になって、要害に住む友人に尋ねたことがあります。
「出店が並んだりして、けっこう賑わってるよ。(お祭りが)平日だったりするんだ」とのこと。地区の子どもたちがとても楽しみにしていると聞きました。「今度、一緒に行こうね」と話していましたが、お互い仕事をするようになってそのままに・・・。
さて、今はどうなっているのでしょうか? この地区に住む友人にリサーチしてみようと思います。
お堂は出羽三山のある西方の山形を望むように建てられていることが判ります。境内は、湯殿山と古峰神社の板碑も合祀されていた、ツツジと竹藪に囲まれた静かな空間です。
皆さんも機会があったら、一度お参りしてみてください。
(聞き書き七ヶ浜4号「お社めぐり」より)
【追記:2018年5月4日】
七ヶ浜町歴史資料館に笠岩堂のお札が展示されています。
昔の住宅を再現しているコーナーの左壁に貼られていますよ。ちゃんと逆さまにね。
お越しの際はぜひご覧ください (^O^)/
【追記:2022年3月8日】
笠岩堂縁日に行ってきました!