聞き書き七ヶ浜

聞いてけさいん、話してけさいん。七ヶ浜のいまむかし。

浜辺の思い出

連日の豪雨、皆さんがお住いの地区は大丈夫でしたか。

大崎市や松島町など、宮城県内も浸水や土砂崩れの被害に見舞われました。ニュースで流れてくる画像に津波浸水を思い出した方も多かったと思います。最近の異常気象が引き起こす災害に心が折れそうになります。もう勘弁してほしいです。

引き続き雨模様の日本列島のようですが、明日の宮城は晴れの予報。気温は30度を越えそうです。昨日オープンしたばかりの菖蒲田海水浴場は、海水浴日和になると嬉しいですね!

 

さて、今回ご紹介するのは14号掲載の「いまむかし」から『浜辺の思い出』。

七ヶ浜町は、7つの集落があったことから名付けられました。各浜の懐かしい話からピックアップしましたのでご覧ください。

 

【湊浜】

・昔、虫送りを6月頃にやっていた。砂浜に土手を作って、竹さ 餅だのご飯だのを刺したものを立ててすんの。流すようにすんだべな。虫送りだから持っていいかれてもいいの。

・夏に青年団で舞台を作って、踊りや仮装をしたんだよ。演芸でもなんでもしたから。浜でしたりしてた。私らも中学校で青年団に入ったよ。「女会」って言ってね。

・浜で幕を張って映画をしたんだよ。くるっと幕をめくって「ぺろんこ」したもんだ。

(以上、湊浜 70~80代)

 

【菖蒲田浜】

・昔、菖蒲田漁港辺りは砂浜だった。漁港を使う人たちは、海から離れたところに家があった。

チリ地震津波は、花渕港にしてからだったので被害が多かった。菖蒲田は少なかったんだよ。

(菖蒲田浜 80代)

 

【花渕浜】

・昔は小豆浜から車で下りて菖蒲田の砂浜まで行けた。四駆じゃないとダメ。砂浜は広かった。仙台新港の防波堤ができたら行けなくなった。(亦楽 60代)

 

【吉田浜】

・タテノシタって、遠藤医院の下にあっぺっちゃ。あそこでタツノオトシゴをとって遊んだ。(吉田浜 60代)

 

代ヶ崎浜

・母親の実家が代ヶ崎浜のカネヤマ。砂山があった。菖蒲みたいな海藻があって小魚がいっぱいいた。火力発電所のあるところに砂浜があった。(菖蒲田浜 80代)

・小さい頃、多聞山の下に長い防波堤があって石垣みたいな医師が置かれてた。電力の岸壁、西の浜の辺りは大きな砂浜だった。(代ヶ崎浜 70代)

 

東宮浜】

・要害は埋立地。昔は入江だった。(吉田浜 60代)

・笠岩堂から要害へ行く方向は山だった。よっちゃん(酢漬けイカ工場)のところは岬。あの辺りは海だった。清水稲荷から湧水が少し流れていて、真冬は氷が張っていた。(東宮浜出身 80代)

 

聞き書き七ヶ浜14号「いまむかし」より)

 

埋め立てや防波堤建設などで町が様変わりした話をよく聞きます。タイムスリップして昔の七ヶ浜の海岸線を見てみたくなりますね。また、いろいろ教えてほしいです。

 

そして、最後にひとこと・・・

 

東日本大震災後、七ヶ浜町の復興に尽力された方が亡くなられました。あまりに突然で早過ぎるお別れに、焼香に訪れたボランティア仲間の皆で呆然としていました。

全国各地から支援に来ていただいたボランティアの皆さんのパイプ役にもなられていた方でした。10年以上経った今も絆が強いのは、そのおかげだと思っています。

お疲れさまでした。今までありがとうございます。