今回は、6号目掲載の「七ヶ浜 お社めぐり」から、荒崎稲荷神社をご紹介します。
荒崎稲荷神社は、海を一望できる松ヶ浜地区の御殿崎にあります。平安時代から松が浦島といわれた歌枕の地であり、歴代の藩主が景観を愛でたといわれています。
さて、ご案内しましょう (^O^)/
まず、県道の湊浜入口交差点を南に折れ、深川沼から湊浜緑地公園を経て、飛ヶ崎トンネルを抜けると松ヶ浜漁港に出ます。
この港は昔、小学校の指定遊泳場で、夏休みには真ん中に停泊させた漁船を監視所兼飛込み台にして、子どもたちが夢中になって泳いだものです。
先日、久しぶりに訪ねてみたところ、震災後にアワビの稚貝養殖場が誘致されたらしく、立派な建物や生け簀が整備されていました。
(聞き書き七ヶ浜6号「お社めぐり」より)
現在松ヶ浜漁港には、水産技術総合センター種苗生産施設が建てられていて、アワビの稚貝やヒラメの稚魚が生産・飼育されています。
松ヶ浜漁港の隣りには湊浜緑地海岸があり、火力発電所や石油コンビナートの工業地帯が目に飛び込んできます。
では、さっそく御殿崎に登ってみましょう。
海を見渡す岬の斜面に、松の古木数本を背にして、塗装されたコンクリートブロック造り、太い閂(かんぬき)付きのステンレス製格子扉という、いかにも頑丈そうな拝殿が建っています。海を背にして建つ神社やお社は数々ありますが、ここは陸を背にして正面に太平洋を望む断崖絶壁の先端、一年中潮風に曝され、嵐のときには高波を受けることもあります。この無骨なほどの丈夫さからこそ建ち続けていられるのでしょう。
(中略)ところで、この小さなお社の歴史は意外に古く、南北朝時代の貞和年間より前からこの場所に祀られていたようです。
(聞き書き七ヶ浜6号「お社めぐり」より)
また、江戸時代末期の七代藩主 重村公には、安政年間に松ヶ浜の古記録にある孝子権右衛門(こうしごんうえもん)の父の仇の鮫退治の話をその子孫から聞いたとか、寛永年間に藩命で常陸国から勧請した天妃神を荒崎稲荷に祀ったなど、度々の来訪を窺わせる言い伝えも残っており、これらの話に登場する実際の品々が町の指定文化財になっていたりもします。
(聞き書き七ヶ浜6号「お社めぐり」より)
間もなく発行予定の16号で、鮫退治のお話が出てきます。しばしお待ちください。
いずれにしても、この荒々しい崖の上に700年以上も鎮座し続けているのは、本当に大切に守られてきたからだということが実感できます。
皆さんも機会があったら、一度お参りしてみてください。ただし、足元には十分ご注意してください。
(聞き書き七ヶ浜6号「お社めぐり」より)