30℃越えが当たり前のぐったりするような暑さが続いています。
写真は2年前の菖蒲田海岸。
今年はコロナ禍で菖蒲田海水浴場の開設が中止、七ヶ浜町内すべての砂浜は「遊泳禁止」になっています。
この半端ない暑さです。涼を求めて大勢の皆さんが海岸を訪れています。お気持ちはわかるのですが、羽目を外される方が多いようです。6月には亡くなられた方もいます。特に家族連れの方は、お子さんから目を離さないようくれぐれもお願いします。
そして、今日8月15日は・・・
75回目の終戦記念日です。節目の年ですね。
太平洋戦争にかかわる聞き取りを、小誌で掲載したものと未掲載のものを含めてご紹介します。
まずは9号目「おらほ自慢 ~大木囲貝塚~」から・・・
【高射砲の陣地】
≪大木囲貝塚≫
・あの辺りは、高射砲(大砲)の陣地だったので弾薬が出てきたりもした。作ったものを持ってきて保管してた。
・(歴史資料館そばの)お茶屋さんがある信号手前の売地の上が、高射砲のサテライトだった。
・終戦前まで畑もあった。貝塚があることは知ってたけど、開墾してほっくり返して・・・。昭和20年以前は、文化財より食べていくことが大事だったからね。その後に国の指定文化財になった。
(以上、80代男性の話)
(聞き書き七ヶ浜9号「いまむかし」より)
高射砲については、七ヶ浜町誌にも書かれています。
大木には海軍高射砲陣地が構築。主要道路に沿って、敵戦車爆砕用の一人用タコ壺を数多つくって万一に備えた。
『七ヶ浜町誌』より
続いて1号目の「いまむかし」と追加聞き取り分から・・・
【戦後】
≪防空壕≫
・防空壕に入る練習をした。戦争が前の年に終わったのにやっていた。
(聞き書き七ヶ浜1号「いまむかし」より)
湊浜や花渕浜の高山地区には、「蝦夷ぼら」と呼ばれている横穴古墳群が残っています。これは古墳時代後半の集団墓地で、人骨や土器、鉄器などの副葬品が出土されています。この横穴古墳を防空壕や倉庫にして使用していたこともあったそうです。(写真は湊浜の蝦夷ぼら)
昔は数十基ほどあったようですが、工事で取り壊されたものもあります。(写真は花渕浜の蝦夷ぼら)
≪アメリカ兵≫
・遊ばれっと(いたずらされると)困っから、肌を隠して炭だの塗ったり、縁の下に隠れたりした。
・アメリカの車、兵隊さんが来てた。おっかねがった(怖かった)。「ジープ来た!どこさ隠れっぺ!」って。あれはおっかねがった!
・菖蒲田の浜さ、アメリカ兵がいっぱい来た。小さい頃、見に行った。
・(菖蒲田浜に)今の自衛隊の幌掛かったような車が来てた。「とん(とう?)車」。10車輪あった。
≪異国の食べ物≫
・前浜(菖蒲田浜)で、アメリカ兵がガムやチョコを餅を投げるように投げたので、子どもたちは拾ってた。大人に「行くな」「拾うな」と言われても、珍しいし小遣いもないし・・・。
・菖蒲田浜に外人ファミリーがいて、缶詰のチョコを半分食ったのを投げられて。子どもたちが群がって、大人に怒らった。
・外人に食パンもらって、七輪や囲炉裏でさっとあぶってコンデンスミルクを塗って食べた。
≪配給≫
・砂糖をバケツでもらった。
≪戦時中から戦後に食べたもの≫
・ガニ、シャコ、イモを食べてたって親父から聞いた。だから今、カボチャやサツマイモは食わない。ワカメや浅い磯にいるカサガイ類も戦後にいっぱい食べたので今は食わない。アカハタ(海藻)は食べる。
※石巻の人からも同様の話を聞いたことがあります。
(聞き書き七ヶ浜1号「いまむかし」より)
震災の話を聞くことが多かったのですが、時折、戦争のことも話題に上がりました。その度、昔の人は我慢強かったなと・・・。もっといろいろ聞いていればよかったなと今になって後悔しています。
現在、コロナ禍で聞き取りが出来ない状況です。お話を伺う相手と出会い、普通に対面してお話を聞けることがどれだけ貴重だったのか。何かがおこってから、普通に暮らせることの有難さに気付くんですね。
今日はひとつの戦争が終わった日。
同じ間違いをしないように生きていかなくてはと思います。