聞き書き七ヶ浜

聞いてけさいん、話してけさいん。七ヶ浜のいまむかし。

弥栄神社

今日は、8号目の「お社めぐり」から「弥栄(やさか)神社」をご紹介します。

弥栄神社は、大まかにいうと七ヶ浜町の西部に位置する遠山地区に鎮座しています。遠山幼稚園と同性寺別院遠山寺に挟まれた坂道を上って行くと、朱塗りの鳥居と社殿が姿を現わします。周辺は木々に囲まれた静かな場所です。

 

鎮守の森からは阿川沼、そして、菖蒲田の海が見えます。

それでは、一緒にお参りしましょう(^O^)/

 

鳥居と同じ朱塗りのご本殿は、地面から60センチメートルほどの高さのコンクリート基礎の上に建てられた木造鋼板葺き流造りで、千木と鰹木の載った本格的な栫え。手入れの行き届いたきれいなお社です。

聞き書き七ヶ浜8号「お社めぐり」より)

ご祭神については、境内に案内板が無く、また、本殿にも扁額などは掲示されていないのでわかりませんでした。帰宅後、七ヶ浜町史増補版を調べると、その理由が載っていました。

それによると、藩政時代の遠山地区には伊達家の家臣である佐野家が住んでおり、氏神として弓矢八幡神社と白崎明神社を祀っていましたが、明治初期に仙台に転居した際に家来筋の子孫にあたる小林家に後祀を託し、その後、地区の人口も増えた昭和14年に住民の願いで二つの神社は遠山地区全体の鎮守となったのだそうです。

その頃、この二社は現在の遠山五丁目の北端、塩釜港貞山埠頭を見下ろす八幡崎の山の上にあって、そこが鎮守の森でした。

聞き書き七ヶ浜8号「お社めぐり」より)

ここまででは、まだ弥栄神社は登場していませんね。弥栄神社の登場は、もう少し先のことで、国道4号線仙台バイパスの工事が関係してくるのだそうです。

昭和42年、仙台バイパスの工事が始まると八幡崎の山が土砂採取場に決まり、二つの神社は移転を余儀なくされました。そこで、役場の了解を得て二社を南遠山(現在の遠山二丁目)に遷宮することになったのですが、このとき貞山橋近くにあって、戦時中に多賀城海軍工廠に電気を送っていた旧山形電気株式会社の火力発電所構内に祀られていた稲荷神社も同時に遷宮することになりました。

聞き書き七ヶ浜8号「お社めぐり」より)

 

翌昭和43年、三社を合わせた新しい神社が完成し、地区の益々の発展を願い白崎神社の祭神である須佐之男命とのご縁から、全国各地で同神を祀る神社の名前にちなみ『弥栄神社』と命名したのだそうです。そして今でも、地域の心のよりどころ、大切な鎮守様としてお祀りされています。

聞き書き七ヶ浜8号「お社めぐり」より)

石碑も同じくですが、道路の拡張などで移転されていることが多いです。気になって謂れを調べてみると、予想外に奥の深い歴史が見えてきます。そこが地元学の面白さですね。

皆さんも機会があったら、ぜひお参りしてみてください。