6号目の「手と手」では、湊浜仮設住宅集会所のパッチワークサークルをご紹介しました。震災後からその活動を支えているのは 大浦多美子さん、白石よね子さん、遠藤みえ子さんの三人です。塩竈市、七ヶ浜町在住の方々です。
取材に訪れたときのことを過去記事で触れています。こちらもご覧いただければと思います。
支援活動のきっかけは、町に届けられた支援物資のパッチワークのマットがはじまりでした。
当時、町役場職員だった大浦さん。子育て支援で各仮設住宅集会所を巡回していました。役場の検診のとき、支援で送られてきたパッチワークのマットに赤ちゃんを寝かせていたので、仮設住宅の集会所にも欲しいとお願いをしました。集会所にマットを届けると、若いママたちから「パッチワークをやりたいな」という声が上がります。
「針や糸、布などを用意するから、子どもたちが幼稚園に行っている間にやろう。時期を待とう」と提案し、大浦さんは準備に回ります。パッチワークの指導は、洋裁を教えている知り合いの白石さんに声を掛け、そのつながりで遠藤さんにもご協力してもらいました。
「大浦さんがキルト専門雑誌に声掛けしてくれて良かった」と白石さん。編集部に手紙と電話で支援のお願いをし、裁縫道具や本などの教材を送ってもらったことで実現できたと振り返ります。
そして、湊浜仮設住宅集会所でパッチワークの会がスタートしました。週に一回集まり、夢中になって針を動かしました。メンバー全員で一つの大きなキルトを作り、町役場に届けたこともあります。
(聞き書き七ヶ浜6号「手と手」より)
これがそのキルト。パッチワークの会の皆さんの力作です。3年前、大浦さんがきずな工房に見せに来てくれました。七ヶ浜の町の形をモチーフにしています。
協力して作り上げた作品に感動しました。このときのことをきずな工房のブログに残していますので、こちらも併せてご覧ください。
昨年12月、仮設住宅の閉鎖でサークルは解散。しかし、「誰とも会えなくて寂しい」「一日一人でいる」「もう一回パッチワークをやりたい」という声が出てきました。大浦さんたちは、再開に向けて活動場所を探しに奔走します。
集会所に支援に来ていたホープさん(多賀城市笠神の教会)の伝手で、ヤーンアライブさん(編み物による被災者支援団体)を紹介してもらい、月二回借りられることになりました。皆で会費を出し合い、足の無い人は車を乗り合わせてやってきています。
(聞き書き七ヶ浜6号「手と手」より)
今までの支援のお礼の形として、作ったキルトを提供し、熊本や海外などの被災地や障がい者施設への支援に役立てています。ヤーンアライブさん主催のチャリティバザーに共同で参加し、全額を寄付しているそうです。
「ナインパッチから始まったんだよね」と白石さん。「皆さんと会うのが楽しくて。震災がなかったら出会えなかった。もう6年ですね」。集会所で始めた頃は、布を見ているだけで楽しかったといいます。
(聞き書き七ヶ浜6号「手と手」より)
「マイペースでやってるのよ」「昔からの友だちに会えるのが嬉しい」と楽しそうな皆さん。「しばらくは塞ぎ込み、涙を流す日々を乗り越えて笑えるようになったんだ」という声も・・・。
針を持つ手を止めて、遠藤さんは静かに話します。「丸6年、あっという間だった。皆さんは大変な道のりだったと思う。同じ七ヶ浜でも被害状況が全く違う。私らも悪いことばかりじゃなかった。皆に会えてよかった。受け入れてくれてありがとう」。
その言葉を追って、こんな声が聞こえてきました。「私らこそ、ありがとうだよ」。
(聞き書き七ヶ浜6号「手と手」より)