聞き書き七ヶ浜

聞いてけさいん、話してけさいん。七ヶ浜のいまむかし。

浜の暮らし②

今日も朝から暑いですね! 猛暑が続いていますが、皆さん、お元気ですか? なんだかんだでまだ7月なんですよね。この暑さ、信じられませんが乗り切っていきましょう!

さて、今日は16号の「いまむかし」から、湊浜地区の方からお聞きした「浜の暮らし」のその2をご紹介します。(上記画像は、震災前の湊浜海岸です)

 

【冷鉱泉

湊浜薬師堂近くに湧き出ていた鉱泉水。かつては「薬師様が授けてくださった薬水」として多くの人が利用していた。

蝦夷征伐時、竹の水門(たけのみなと/現在の湊浜)に上陸した日本武尊(やまとたけるのみこと)が発見し、身を清めたといわれている。

現在、水は沸いておらず跡地になっている。

・冷鉱泉をあっためて温泉にしたの。お湯、沸いたんだよ。温泉あったの。

・昔、この水を沸かした銭湯が(崖沿いに)あった。(弁天沼沿いに)住宅もあった。アパート2棟あったよね。

・今はもう湧いていない。溜まってる。

・湊浜は歴史が古いの。お薬師さんの脇の洞穴のところ、その脇に岩があってね。あそこの岩を削ってきて磨き粉、ホーミングっていうのかな。あの砂が出るから削りに行くの。クレンジング、クレンザーだね。

・薬師様の横の水ね。やけどすると、そこから水を汲んできて沸かしておいて治した。腫れ物や出物にもいいっていうのね。

 

【カンカン】

・「カンカン」っていう人たちがいた。修行僧じゃないよ、普通の人。早く言うと物もらいさ。今でいうホームレス。長浜辺りから来てた。

・うちのおばあさんが、物もらいって人もうちに泊めたの。米袋や南京袋ってあったの。ほいつさ、わらのくた、柔らかいところをすぐって入れて、五寸釘で縫ってけてさ。糸をとおして縫うんだっちゃ。外の味噌小屋さ、そのわら布団を敷いてけて寝せたの。ほしたっけ、朝に「ばあさんに夕べ、布団を作ってもらって、うんとあったかくて、よつばりたんねぇで寝た」って起きてきたんだよ。よつばりって、寝しょんべん。ほして、ごはん食わせておにぎり握って、「カンカン、ほら昼間に食べろ」ってやるんだっちゃ。(そして)どっかに帰ってって・・・。仙台新港ができるまで(砂浜が)つながってたから来たんだっちゃ。

・仙台新港がなければ(仙台の蒲生まで砂浜が)つながってたのね。貞山堀の方から、あの辺りから歩いてくるんだよね。

・長州(現在の山口県)から来た親子もいた。近所のおじいさんがやけどになったわけ。「やけどの薬、あそこ(冷鉱泉)から薬水汲んでこい」って、カンカンに言って取ってきてもらったのだ。やけどが治ってから、「あんときの水、田んぼから取ったんだ」って言うの。薬水じゃなかったのさ。治ったって言うんださ、田んぼの水で! カンカンには負けたなって! おかしな人じゃなくて、頭いい人だったんだな。

 

聞き書き七ヶ浜16号「いまむかし」より)

 

「長浜」は湊浜を起点とし、福島県の相馬まで続いていた東北地方で一番長い砂浜でした。今は仙台新港で砂浜が途切れてしまいましたが、かつては浜づたいに歩いて行き来し、人と人との交流があったそうです。過去記事もご覧ください。

kikigaki7.hatenablog.com

 

先日、カンカンの話が面白かったという感想をいただきました。

このお話で、私も子どもの頃のことを思い出しました。「ごはん、けろ」と物もらいのおじさんが家によく来ていました。ある日のこと、母が「朝ごはんで食べてしまったから、ごはんは無いけどパンならあるよ」というと、おじさんはものすごく怒って「ごはんがねえなら、金けろ!」と・・・。50円あげたら、すんなりと帰って行きましたね。あのおじさん、今、どうしてるかなぁ~。