聞き書き七ヶ浜

聞いてけさいん、話してけさいん。七ヶ浜のいまむかし。

昔の塩釜 ②

今日は、七ヶ浜の皆さんからお聞きした「昔の塩釜」の話をご紹介します。

写真は、亀井邸に展示されているジオラマ(2013年2月撮影)。昔の塩釜の町並みです。タイムスリップして行ってみたくなりますよね!

 

10号掲載の「いまむかし」からどうぞ (^O^)/

 

【加工屋】

・塩釜は加工屋が多い。

・缶詰の「極洋」で稼いでた。他の加工屋が1日160円、極洋は400~500円。クジラ肉のコンベヤー係から、目方掛けさせらった。月曜から土曜まで1年休まねど、正社員にさせらった。(70代)

 

聞き書き七ヶ浜10号「いまむかし」より)

 

他にこんな話も聞きました。

おかあさんたちは塩釜の加工場で働いている人が多かった。魚肉ソーセージ、かまばこ、さつま揚げ、缶詰の半端になったものなど、ハネものを近所に配ったり、食卓にのぼってくるのが常にあった。今はそんなになくなったけど。おでんとか、みそおでん。材料は畑から取って来るからね。(40代)

聞き書き七ヶ浜 聞き取りメモより)

【貯木場】

・塩釜郵便局前の中の島公園が、入り江で貯木場だった。輸入材木の保管場所だった。45号線を曲がって突き当りが、当時の魚市場(今のマリンゲート塩釜)で。その辺りまで来ると臭いが酷かった。ドブ臭くて。

・貯木場の向かい側に製氷会社があった。

 

【お店】

・舟戸(今の旭町)の貨物船の線路沿いの堀に橋を架けて、バラックの駄菓子屋やお好み焼き屋が並んでいた。5円もらって「さくちゃんばっぱ」の店にお好み焼きを食べに行った。

・テレビの「おかみさん時間ですよ」が流行っていた頃、錦町に「松の湯」っていう銭湯があった。いたずらで電話を掛けた奴がいて、「はまさん(登場人物)いますか?」って聞いたら、本当に電話に出たっていう話を東北放送のラジオで聞いた。

遊郭だった家の友だちがいて、遊びに行くと、階段が4尺(120センチ)ほどのケヤキの一枚板で出来ていた。10畳か8畳くらいの広い台所や、木造の建物の中に塩釜石の石倉があった。3坪ほどで廊下から入れた。今もその家に住んでいる。

 

ダンスホール

・戦前、北浜にあった。埋め立て前の元ジャスコの対岸辺り。戦争で閉鎖される前にラストパーティがあって叔父が行ったと聞いた。90代くらいの人なら知ってるんじゃないかな。映画館とかスケート場になって、最後はキャバレー。高校の頃、昭和50年頃まで建物はあった。

 

【ジャズ喫茶】

尾島町に「ビーナス」っていうジャズ喫茶があった。平間写真館の斜め向かいくらいだった。当時、最高級のオーディオ機器を揃えていた。好きだったんだべな、そのマスター。ジャズそのものより、オーディオ機器を体感できる貴重なスポットだった。高校の時から20歳くらいまで通った。(60代)

 

聞き書き七ヶ浜10号「いまむかし」より)

 

以前も書きましたが、七ヶ浜の人たちにとって塩釜は仙台と同じ感覚の賑やかな町だったようです。仕事をする場所、買い物や遊びに行く場所なんですね。

「昔の塩釜」のその①もぜひご覧ください。

kikigaki7.hatenablog.com

 

仙台出身の私(50代です)はというと、車で松島方向へ行く途中のことを思い出します。塩釜をとおるときに親から「窓を閉めて!」と必ず言われたことですかね。加工場の臭いが凄くて、急いで閉めた子どもの頃が懐かしいです。

それから、学生時代の友人(塩釜三小出身)から聞いた話です。「小学校の時、とさつ場でよく遊んだの。空き地だったんだけど、昔はとさつ場だったから、そう言ってたみたい。皆でとさつ場に行こうってね」。凄いな塩釜って思っちゃいました!

 

・・・こういった懐かしいお話を集めております。